東京地方裁判所 平成11年(レ)377号 判決
主文
一 原判決を取り消す。
二 控訴人の本件訴えを却下する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。
事実
第一控訴人の控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、金七六万四七一七円を支払え。
第二当事者の主張
一 控訴人の請求原因
1 被控訴人は、平成八年九月六日午後七時ころ、千葉市花見川区武石町一-五五五所在の控訴人の実家において、控訴人の背後から襲いかかり、控訴人の右頭部を殴って五メートルほど引きずった上、さらに数度殴り続けて、その後長時間控訴人の頭部を強く床に押しつけるという暴行を行った(以下このときに被控訴人が控訴人に加えた暴行を包括して「本件暴行」という。)。
2 控訴人は、右暴行により、頸椎捻挫、頭部打撲、右上腕・背部・右肩・左足関節挫傷の傷害を負った。
3 控訴人は、右傷害により次の損害を被った。
(一) 財産的損害 七六万四七一七円
(1) 治療費 一八万五〇四七円
(2) 療養手当 五六万九〇九〇円
(3) 通院交通費 一万〇五八〇円
小計 七六万四七一七円
(二) 精神的損害 二〇万円
4 控訴人は、右損害のうち精神的損害に対する慰謝料二〇万円については、平成一〇年四月一三日までに被控訴人から支払を受けた。
5 よって、控訴人は被控訴人に対し、不法行為に基づき、右財産的損害七六万四七一七円の支払を求める。
二 請求原因に対する被控訴人の認否
1 請求原因1から3までの事実は否認する。
2 同4の事実のうち、被控訴人が控訴人に二〇万円を支払った事実は認める。ただし、この二〇万円は、東京地方裁判所平成九年(ワ)第一七〇五七号損害賠償請求事件(以下「前訴」という。)における訴訟上の和解(以下「前訴和解」という。)において定められた本件暴行によって生じた全損害に対する和解金の支払として支払ったものである。
三 被控訴人の主張(訴えの利益について)
1 前訴における訴訟物は、本件暴行についての一切の損害を含むものであり、精神的損害に限定された一部請求ではなかった。
2 前訴和解は、本件暴行による財産的損害も含む訴訟物全体について成立したものであり、その一部である精神的損害についてのみ成立したものではない。
3 したがって、本件の控訴人の請求は、前訴と同一の訴訟物についての再訴であり、訴えの利益がないというべきである。
四 被控訴人の主張に対する控訴人の反論
1 前訴において、控訴人は、被控訴人に対しては本件暴行やそれ以前の不法行為に関し慰謝料を請求したものである。控訴人は、その裏付けとして経済的な損害、肉体的な損害も発生していることを理由としたにすぎない。したがって、控訴人は前訴において治療費の明細を提出していない。
2 前訴和解は、慰謝料について成立したものであり、本件暴行による損害すべてに拘束力を有するものではない。したがって、控訴人が本件訴訟において本件暴行による財産的損害の賠償請求するのに何ら問題はない。
第三証拠関係
本件記録中の原審及び当審の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これらを引用する。
理由
一 被控訴人は、本件訴えの訴訟物が前訴の訴訟物と全く同一であるから、本件訴えが訴えの利益を欠く不適法なものであると主張するので、最初にこの点について判断する。
1 証拠(乙一、三、五、当審控訴人、同被控訴人)によれば、前訴は、控訴人が被控訴人とその妻宍倉志づ子を共同被告として東京地方裁判所に提起したもので、その請求内容は、被控訴人及び宍倉志づ子(前訴被告ら)が控訴人(前訴原告)に対し行った控訴人の家庭への介入、控訴人に対する罵倒、脅迫、詐欺を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求と、被控訴人が控訴人に対し行った本件暴行を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求とを含むものであったこと、そして前訴について、平成一〇年三月一八日に、右前訴被告ら(被控訴人及び宍倉志づ子)が前訴原告(控訴人)に対し、連帯して解決金として二〇万円を支払うことを主たる内容とする訴訟上の和解が成立して前訴は終了したことが認められる。
しかるところ、訴訟上の和解における調書の記載は、確定判決と同一の効力を有するとされ(民事訴訟法二六七条)、実体法上の無効原因が存しない限り既判力を有する(最高裁昭和三三年三月五日大法廷判決・民集一二巻三号三八一頁)から、本件訴えの訴訟物である本件暴行による財産的損害の賠償請求が前訴和解においても和解の対象になっていたとすれば、本件訴えは前訴和解の既判力に抵触し、時効中断等の特別な再訴の必要性のない限り、訴えの利益はないということとなる。
2 そこで検討するに、前訴の訴訟物が本件暴行による原告の精神的損害の賠償請求を含むものであったこと及び前訴和解の対象に当該精神的損害の賠償請求が含まれていたことは、いずれも当事者間に争いがないから、ここでは、前訴における訴訟物に本件訴訟で原告が請求する本件暴行による財産的損害の賠償請求も含まれていたかどうか、言い換えれば、前訴における請求が本件暴行による精神的損害の賠償請求に係る一部請求であったかどうかという点がまず問題になる。
(一) しかるところ、一般に、訴訟の原告は、自らする請求が一部請求か全部請求かを明示すべきであり、一部請求であることを明示して訴えを提起したときは、その残部については既判力は及ばないが、当該請求が一部請求であることの明示がなければ、当該請求は全部請求として扱われ、前訴が全部請求であった場合には後の訴えにおいて前訴の請求が一部請求であったと主張してその残部を主張することは許されないというべきである(最高裁昭和三七年八月一〇日第二小法廷判決・民集一六巻八号一七二一頁、同昭和三二年六月七日第二小法廷判決・民集一一巻六号九四八頁)。そして、右の明示の有無は、請求の趣旨及び請求原因を総合して判断すべきものである。
(二) そこで、訴状の請求の趣旨及び請求原因をみるに、前訴の訴状(乙一)の「原告の損害」欄のまとめの記載では「慰謝料五〇〇万円」の支払を求めるとされているから、この部分による限り、控訴人は前訴においては本件暴行によって生じた全損害のうち一部である精神的損害のみを請求していたと解する余地がないでもない。
しかし、右訴状の「原告の損害」欄のうちの本件暴行に関する部分は、「被告(宍倉岩夫)の暴行傷害は民法七〇九条の不法行為に当たります。精神的、経済的のみならず肉体的にまで苦痛を与えた行為は許し難く、被告らに対し各自慰謝料五〇〇万円と不法行為後の平成八年九月六日から支払済まで年五分の遅延損害金の支払を求める…」との部分と、同じく訴状の「請求の原因」の第四項の「(被控訴人の暴行の結果、控訴人は)鞭打ち状態となり、現在も完治せず。」との部分であるところ、原告が本件暴行により財産的な損害を受けたことに関係し得る記載は、本件暴行によって控訴人が鞭打ちという傷害を受けたという点と、被控訴人が本件暴行により控訴人に対し経済的な苦痛を与えたという点だけであると解される。そうすると、訴状の記載上は財産的な損害が発生したという明確で具体的な主張はされていないと評価するのが妥当である。そして、本件暴行の日は平成八年九月六日であり、前訴の提起は平成九年八月一五日であって(乙一)、その間に一年近くの期間が経過しているから、一般に財産的な損害があったとすれば、当然既に顕在化し、前訴においてそれを主張することは十分可能な状態になっていたと解することができる。したがって、これら訴状の請求原因の記載と訴訟提起までの期間経過の点とを併せ考慮すると、前訴における控訴人の被控訴人に対する請求は、本件暴行による財産的損害はあったとしてもさほどの額ではないため、控訴人が受けた財産的な損害をも包括して算定した慰謝料という形態で五〇〇万円の損害賠償を請求するという趣旨であると理解するのが最も自然なものであったというべきである。そして、その後に準備書面等によって、前訴の請求が精神的損害に係る一部請求であることが明示された事実も認められない(乙五、弁論の全趣旨)。
そうすると、前訴の請求が、本件暴行による精神的な損害だけを請求する一部請求である旨の明示がされていたということはできない。
(三) 控訴人は、当審本人尋問において、当時他の訴訟や争いがあって、前訴において財産的損害の請求をする余裕がなかったことから、控訴人としては精神的な損害として慰謝料だけを請求するつもりであったと供述している。
しかし、請求が全部請求か一部請求かの明示が要請されるのは、訴訟物の提示は原告の選択によるという処分権主義における原告の利益と、応訴する被告の利益との調整を図る趣旨に出たものと解されるから、単に訴訟の原告が内心で当該請求が一部請求であると思っていただけでは、当該請求をもって一部請求であると認めることはできない。
(四) よって、前訴の請求(訴訟物)は、本件暴行による損害に係る全部請求であったというべきである。
3 次に、前訴和解の効力について判断する。
一般に、訴訟上の和解においては、訴訟物の一部について和解を成立させることも可能であるが、訴訟物の全部についてされるのが通常であるから、当該和解が訴訟物の一部について成立したものであることが明らかな事情のない限り、当該和解は訴訟物の全部についてされたものと認めるのが相当である。
これを本件についてみるに、前訴の和解条項においては、その第一項で「被告らは、原告に対し、連帯して、本件解決金として金二〇万円の支払義務があることを認め(る)」、その第三項で「原告は、その余の請求を放棄する。」、その第四項で「原告と被告らとの間には、本件に関し、本和解条項に定めるほか、何らの債権債務がないことを相互に確認する。」とされていて、訴訟物の一部についてだけ和解が成立したことをうかがわせる記載は全く存在しない。
また、右前訴和解成立の経過をみても、当事者と裁判所との間で、財産的損害を除く点についてやりとりがされた事実は認められない(当審控訴人、同被控訴人)。
したがって、前訴和解に関し、それが本件暴行による財産的損害を除いた損害についてのみ成立したものであることが明らかな事情はなく、前訴和解は訴訟物の全部について成立したものというべきである。
4 そうすると、本件訴えの訴訟物は前訴和解の対象となった前訴の訴訟物に含まれるから、本件訴えは前訴の和解調書の既判力に抵触する。そして、本件においては時効中断等の特別な再訴の必要性も認められないから、結局、本件訴えは訴えの利益を欠く不適法なものといわざるを得ない。
二 以上の次第で、原判決は、本件訴えが不適法であることを看過して本案判決をしたもので、この点において不当であるから、職権をもってこれを取り消した上、本件訴えを却下することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩田好二 裁判官 手嶋あさみ 裁判官 島田英一郎)